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日本ERI(株)高松支店そして隠居

日本ERI(株)高松支店そして隠居

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元日木ERI㈱高松支店長
鈴 木 正 典


 昨年11月に栗林公園に無料で入場できる権利を取得した。平たく言えば尚齢者の仲間入りをしたということである。
 この現実を肯定、県庁とERIの長いサラリーマン生活にピリオドを打つことにした。 この原稿が本誌に掲載され、皆様のお目にとまる2ヵ月後には悠悠自適の日々を送っているはず(?)である。

【入社】
 ERI入社への道は、県庁在職時の平成16年5月にERI広島支店長と名乗る人物の突然の訪問を受けたことが発端である。
 高松に支店を開設したいので、支店の経営に参加しないかというものであった。 当時まだ退職後の確たる計画は無く、隠居するか、もし働くとすれば、私自身が設立に関わった香川県建築住宅センターになるのかな、という程度の漠然としたものであったが、時期も早く、適当に話を聞いた程度であった。
 11月に2度目の訪問があり、それ以降の波状攻撃はかなり熱心であったが、設立に関わった会社の競合会社への就職には抵抗感もあり、色よい返事は出来なかった。
 そのうち、岡山県庁の建築職で私の知り合いが退職後岡山支店を開設して成功しているとの情報がもたらされた。
 当人に電話で様子を訊<と、「その気なら結構面白い仕事だ」とのことであり、また支店開設に参画できるタイミングはまず無いこともあって、最終的にお世話になることになった。
 県庁卒業の翌日(平成17年4月11」)には入社し、支店開設までの間、岡山支店へ実務研修に通いながら開設準備を進めていた。
 ERI職員としてデビューしたのは5月の士会高松支部総会で、初めての営業は慣れぬこととてなかなか難しかったのを記憶している。
 県庁時代は役人という立場から、民間の方たちとの付き合いは私的な感情等を極力排除した硬いものであったと思う。
 入社を考慮していた時は、それが裏目に出はしないかと心配したものであるが、皆様暖かい方達で、過去の私の至らなさをおくびにも出さない大人のご対応を感謝したものである。
【支店開設】
 支店の場所が決まり、スタッフも揃い、7月1日にいよいよ支店開設の運びとなった。 当初は確認業務のみでのスタートで、実質5
人というこぢんまりした職場であった。
 馴染みの無い名前の所為か、当初出足は悪かったが、そのうち忙しくなり、例の姉歯事件が起きた頃は、私自身でいえば昼間は現場検査、帰ってからその事務処理、確認部長として確認等の決裁、そして事務系の決裁など、退社は毎日10時11時というハードな日々であった。
 民間とはいえ、まさかこれほどとは思っていなかったが、入社した以上こなすしかないとの思いから皆で頑張った時期であった。

【大事件】
 その年の11月18日に国土交通省が前日発表した構造計算書偽装事件(いわゆる姉歯事件)に関する報道が大々的になされた。
 大事件の幕開けであり、2年後の基準法改正につながる建築界受難の時代の始まりである。
 
 当社への影響は薄いと高を括っていたが、競合会社から当社が隠蔽したとの発言があり、社長の記者会見また国会国交委員会での参考人招致と騒ぎの真っ只中に据えられてしまった。
 報道後直ちに社内の構造担当で組織したチームが計算書の正否、手口等につき検証を開始、結果としてプログラムの不備をうまく衝いた非常に巧妙な偽装が発見され、通常の審査では発見できないレベルであることが判明した。
 当社に非は無いと思われたにも関わらず、従来正しいとされてきた審査方法で良しとはせずに、法の手当てを待たず、直ちに再発防止に向け審査方法の改善を開始したことには感心したものである。
 現に、改善策を実施したため、労力。時間・費用を含め経営的にはかなりの負担となった。
 にもかかわらず、翌年に確認業務に関して不届きこれ有りとして、一部業務停止の処分を受けたことは、さらに大きな痛手となった。 言い訳をする気は無いが(実はしようとするときの常套句)、当社のみならず他機関・行政も含めて確認審査の手法は全国一律のものとして認知され、運営されてきたものである。
 そもそも確認審査は法制定時から・・・。
 という堅い話は肩がこるし、自分の浅学を露
呈することになるのでやめておく。
 翌19年の基準法改正、また20年のサブプライムローン問題、さらに21年のリーマンショックと立て続けに大きな事件が発生し、私の入社以来の5年間、建築界にとって安定した経営状況を維持することが困難な時期だったと思う。
 「行政から民間へ」と、まるでどこかの政党のお題目の字面そのものの転進をした私にとっては、民間の厳しさを味わった日々であった。
 支店開設2年後には支店長としての重責を担うことになったが、能力に疑問符の着く身にとっては、皆様の暖かい視線や他部局からの応援また支店職員に支えられてやっとこなしてこられたというのが実感である。
 
 実際、高松支店が苦境の際、数多くのお客様に助けていただいたことが非常に有りがたく思い出される。
 かといって苦しい事ばかりではなく、民間ならではの貴重な経験.楽しい体験も沢山させてもらったのだが、誌面の都合で割愛する.
【隠居】
 4月にはサンデー毎日の世界が待っているのだが、さて何をして生きていこうか。
 県庁退職より大分前に、ある席で先輩方から「隠居するまでには趣味と友達をものにしろ」との助言を頂いたことがある。
 その時は大丈夫と思っていたが、少し前までと状況が変わったことに気がついた。
 前に本誌で紹介させていただいたが、私の趣味の経歴は種々取り混ぜて十指に余り、その中で長く続いたものが合唱とテニスである。
 その魅力は素晴らしい和声に出会えることであり、青空の下でのナイスショットであるが、それが長く続いた理由を考えると、どちらも雑多な職種の人たちの集まりで利害関係が無く、程良い人間関係があることであろう。
 飲み友達として、また家族同士での付き合い等、楽しい仲間がそこにはいるのである。
 座右の銘は「継続は力なり」。
 しかし、さすが民間は想像以上に忙しく、合唱もテニスも無縁の日々である。
 座右の銘は5年以上のご無沙汰でお題目のみとなり果て、隠居するそのとき、楽しい仲間は快く迎えてくれるか?復帰できる力は残っているか?などと思い悩む昨今である。
【ご挨拶】
 在職中は皆様には大変お世話になりました。 こうして無事卒業できるのも一重に皆様のご温情によるものと感謝いたしております。
 本当にありがとうございました。
 これからも日本E RI高松支店をご指導ごご愛顧賜りますようよよろしくお願い申し上げます。

 


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一(会員シリーズ)過ぎし日を語る--小 竹 義 孝


(会員シリーズ)過ぎし日を語る---

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小竹興業㈱会長

 小 竹 義 孝

 

 私が学生生活に終わりを告げ、社会に第一歩を踏み出したのは、昭和38年、東京オリンピックが開催される前の年でした。 新幹線も整備され、首都圏では地下鉄や高速道路が次々と拡張され、高層ビルも立ち並び、建設業界は、正に、高度成長時代の先端を行く業種として、最盛期の年でした。建設業界では、特に、公共工事において、庁舎、町村役場、学校などが、木造から、鉄筋コンクリート造に建て替える時期でして、当時は、「生コン」も無く、「ポンプ車」も無く、現場練りのコンクリートを「タワー」を建て、「ウインチ」にて吊り上げ、「カート」車にて打設し、躯体を築き上げていく時代でした。仕上げの仕様に関しては、サッシはスチールOP、外壁はモルタル塗リシン吹き付け、内壁はモルタル鏝押さえVP、床はモルタル鏝磨きPタイル貼り、というのが、一般的な仕上げで、左官工事が、建物の精度良否を判定する大きな要因を占めていました。


 私の卒業論文は、「左官工事における人間工学的研究」というテーマでした。建築工事も、昨今では、仕様が大きく変わり、左官の作業量も少なくなりました。外壁はカーテンウォール、内壁は軽鉄下地のボード張り、天井は軽鉄下地のボード張り、床はOAフロアー等、「左官工」の出る幕はほとんどありません。私が、この業界に入ったその当時は、壁、天井、床など、内装の仕上げの精度は、左官工の技能に大きく圧し掛かり、いかに、職人がその技能を発揮し、粘度の良い、きちっとした、いい仕事をするかによって、建物の良否が評価されたものでした。左官工は、経験と器用さが必要な大変難しい業種ですが、特にその作業は全身を使って作業する過酷な重労働です。人間の人体機能には、それぞれ限界があり、首はここまでしか曲がらない、手首もこれ以上曲がらない限界角度があり、腕、腰、足などそれぞれ、これ以上曲げられない限界があります。「左官工」の職人は毎日、この体を駆使して作業をしています。「左官工」の一連の作業の流れを調査する為、当時私は約一ヶ月の間、人手業者の作業現場に入れてもらい、「左官工」が壁にモルタルを塗る作業、床を鏝押さえする作業、また天井にプラスターを塗る作業、等を毎日毎日ビデオに収録し、例えば左官が壁にモルタルを塗る場合、鏝を持った手首の角度はどの角度が最もも無理が無く、効率よく作業しているか、床を押さえる場合は腰の角度は、どの位置が長く継続できるか、梁下プラスターを上向きで作業する場合、腕の角度はどの角度が一番効率が良い動きなのかなどムダ、ムリ、ムラの無い動きを分析し、作業効率、精度、持続性を高める為の資料を作成しました。何とかレポートをまとめ、卒業することが出来ました。


 その後、左官工事における実技の冊子に取り上げられ、「日本左官業組合連合会」の技能講習会の資料として、左官上を目指す若者に利用され、技能向上に貢献したと聞きました。
 IT情報化社会の今日、建築業界もこの半世紀の問に大きく変遷し、建物は軽装化され免震構造、超高層へと技能よりもIT技術の時代になってまいりました。しかし、いつの時代になっても、建築の造形の本髄は、大工や左官など技能の集大成であり、継承していかなければならないと思う

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