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-(会員シリーズ)過ぎし日を語る - 牧野直樹

若かりし頃
牧野直樹
牧野直樹
((株)香川県建築住宅センター 代表取締役)

建築課営繕
 子供のころから物を作るのが好きで、あまり進路に悩むこともなく、工学部の建築学科に進学。卒業時にはすっかり建築好きの青年になっており、設計の仕事に携わりたいと考えていた。しかしながら、世の中はニクソンショックの影響で全般的に不況であり、特に、建設業界はその傾向が強かった。設計事務所の求人は少なく、一方で 当時の著名な建築家の設計した建物(丹下健三氏の県庁舎、県立体育館、大江宏氏の文化会館、丸亀武道館、芦原義信氏の県立図書館等)が数多くある香川県の建築に魅力を感じるとともに瀬戸内海歴史民俗資料館を設計した山本忠司氏に憧れていた。
 そんな折、大学の恩師が「牧野君、就職どうするの」、「設計事務所を希望していますが、香川県も考えています」「私、山本さんと知り合いだから、紹介してあげるよ。一度、県庁に行ってきな」と名刺の裏に紹介状?を書いてくれた。「先生、県庁は試験があるんですけど」「いいから、いいから」山本課長にアポイントを取って、県庁まで出かけたが、忙しい課長は不在で会えずじまい。大切な紹介状?をどうしたか、今となっては記憶にない。こんな経緯はあったものの、試験を受けて県庁に就職することになった。
 建築課に配属となって、憧れの山本氏と初対面、それまで建築の雑誌などで顔写真は拝見していたが、実物は、体が大きい、身長も胸板も、顔もでかくて彫りが深い、手の指も太い、とにかく圧倒された。後に、三段跳びでヘルシンキのオリンピックに出場したと聞いて、妙に納得した。
 建築課の一般営繕係で仕事をすることになったが、そこでは主に学校や住宅以外の県有施設の設計、工事監理を行っていた。一年生の職員にも小さいながらも、新築や増築の仕事を任されており、税金を使ってする建築を私のような若造に自由にやらせてもらえていいのかという不安もあったが、任せてもらった喜びが大きかった。
 当時の建築課はかなりの大所帯で、若い職員が多かったこともあってか、活気にあふれていた。また、多くの職員が他の人が担当する建物の計画に興味を持っていた気がする。図面を描いていると製図版の周りに人が集まってきて、「なんでこうするん、それならこの方がええのとちがう」と色々な質問やアドバイスをもらった。計画の整理や悩んでいる時の解決に貴重な環境だった。
 とりわけ記憶に残っているのは、川井稔氏が当時の係長で、初めて描いた図面を持っていくと「ちょっとここに座れ、図面はこうかくんや」と青焼きの矩計図に、赤のボールペンで訂正を、その結果、図面は見事に真っ赤になった。また、小さな体育館を任され立面計画に行き詰っていたとき、山本課長に「ちょっと図面を持ってきて、こんな感じでどうかな」と青焼き図に赤鉛筆でチョッチョッとスケッチ、目からウロコだった。
 営繕担当を8年、その間、2年ほど高松高等技術学校で建築科の教師をしたが、図面を描くのが楽しくて仕方のない時期に、上司や先輩、同僚、設計事務所や建設会社の皆さんに恵まれて、密度の濃い、有意義な時を過ごさせていただいた。

建築課建築指導
 昭和58年から7年ほど建築指導を担当、それまでは、建築の技術者として図面を描いていればことが足りる狭い世界にいたが、同じ建築の世界とはいえ、まったく性質の異なる仕事をすることになり、少しは行政の世界に足を踏み入れた。
 建築確認の審査・検査やホテル、旅館、物販店舗などの防災査察などが主な仕事、それまでの仕事では、特定の人との付き合いに限られていたが、付き合う相手が色々な設計者や建築主などに飛躍的に拡がった。
 ちょうど瀬戸大橋開通を控えた時期で多くの建物が建設されたが、特に琴平町周辺では大規模なホテルの確認申請が集中し忙しかった記憶がある。
 また、この仕事に携わってしばらくすると、法律は一般的な建物をモデルに規定を定めているが、実態は千差万別、画一的に法律の規定に合わせるよう求めることに疑問を感じ始めた。法律の趣旨を考慮したうえで、申請者の方にその趣旨や安全性の確保の必要性などを納得していただき、如何に落としどころを見つけるか。ダメなものはダメではあるが、考える余地のあるものは相手の意向を踏まえて解決方法をアドバイスするよう努めた。そうすることで、行政に携わる者の自己満足に陥ることなく、多少なりとも遵法意識の向上に寄与できると考えていた。
 振り返ってみると、昭和の時代は、どちらかというと建築することに軸足があって、無確認建築や違法建築のやり得意識があり、完了検査率も低調であったと思われるが、現在は、社会の法律に関する意識が向上したこと。住民の方の権利意識が高くなったこと。建築物の周辺環境に及ぼす影響などへの関心が強まったことなどから違法建築を許さない気運が格段に強まったと感じる。世の中の法律を守ろうとする意識に隔世の感がある。

その後の県庁
 平成に入って、住宅課、建築課、建築指導室、都市計画課...と次々と異動、バブル時代の大規模県有施設建設ラッシュや建築基準法の大改正、丸亀町の市街地再開発事業などに取り組んだ。その都度、組織内での立場が変わり、徐々に建築の一技術者から行政マンへシフトして行った。仕事の質も図面を描くことから関係者への指導・助言、組織の管理・運営に変わっていった。
 振り返ってみると、建築に関わる職場で様々な仕事をさせていただいた。その時々で多くの人々に支えられ、長いようで短い県庁生活であったが、思い返せば、若かりし頃の体験の印象が強く残っていた。

香川県建築住宅センター
 県庁を退職後、平成24年5月に株式会社香川県建築住宅センターに就職。
 これまで利潤を追求することのない役所の生活から、株式会社の経営に携わることになった。
 センターは主に住宅の建築確認・検査、住宅性能評価、住宅瑕疵担保責任保険などに関する業務を行っているが、多くのお得意様にお付き合いいただき、これまで経営は安定している。これも偏に平成12 年の会社設立以来、役員や社員の皆さんの努力の賜物と感謝している。
 ある人から「牧野さん、あんたは運がええな、ええ時に社長になっとるわ」といわれたが、おっしゃるとおり、県庁を退職するタイミングで入社し、会社は順調に利益を出しております。たまたま、こういう時期に社長に就任しました。
 引き続き、皆様のご要望に的確に対応することで、建築士事務所協会の皆様を始め、多くのお客様に末永くお付き合いいただき、この「運」をずっとつかんでいたいと考えています。今後とも、香川県建築住宅センターをご愛顧いただきますようお願いいたします。


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この記事について

このページは、sekkei-kagawaが2015年8月17日 15:53に書いた記事です。

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