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エーゲ海クルーズにて

倉岡 健介
事務局長 倉岡 健介
(一社)香川県建築士事務所協会

 一昨年、県を退職したのを機に長年行きたいと思っていた中央ヨーロッパへの旅を計画していたが、出発前々日の台風で関空が水浸しになり中止になった。そこで昨年、台風時期を外して6月中旬にベネチアからエーゲ海へのクルーズ船に7泊する旅に申し込んだ。早めに予約したのでバルコニー付の部屋で行けることになった。
 羽田からフランクフルト経由で、ベネチア空港までは割とスムーズに進み、陸側のホテルに一泊した。翌朝、ベネチア本島へはバスでユーロスターも通る橋を渡り、20分で到着した。ベネチアの港には大型クルーズ船が6隻も停泊しており、うち1隻は先日、水上バスと衝突して動けない状況とのこと。ベネチアは狭い水路を行きかう船が住民の日常の交通手段であり、今回の事故で大型クルーズ船寄港に対する住民の不満が高まっていて、また事故があればクルーズ船のベネチアへの寄港は禁止になるかもしれないとのこと。
 日本でも京都などで観光公害が叫ばれているが、住環境と観光資源を守るために一定の規制は必要であろう。20年ほど前に訪れたスイスのツエルマットでは電気自動車や馬車のみで排ガスの出るガソリン車は禁止されていた。また、家々の窓は常に花が咲いている状態にしていないと罰金が科せられ、農家も牧草地を何度も刈込んで常に美しい状態にしておくことで補助金を得ており、年収約1400万円の半分占めていたと記憶している。
 今回乗船したのは約9万トン、乗客2500人のカジュアル船で、狭い水路をタグボートに曳かれ神業のように岸壁をかすめて反転出港し、1日目のクルーズがスタートした。初日は空路の疲れもあり、2000人は収容できそうなシアターで1時間ほどダンスショーを見た後、眠りについた。

img-10-002.jpg  2日目は当初の予定はモンテネグロのコトル港であったが、小さな古都のBARに変更になりがっかりした。船の中のレストランはほとんど無料だがアルコールは有料で、ビール小瓶が8~10ユーロと高めである。3日目はギリシャのコルフ島に入港した。ナポレオンがイギリスとの戦いに敗れるまでフランス領であったため、旧市街は当時のフランスの建築様式が保存されており世界遺産に登録されている。港にはクルーズ船が既に5隻停泊していて1万人以上の観光客が上陸しており、旧市街へのバスは渋滞で進まず、途中で降りて20分ほど歩くことになった。
 ちなみに船の乗組員の給料は出身国の賃金に比例しているため、アフリカ系、南アジア系が多い。一度航海に出ると9か月は乗船したまま休み無しで、下船後3か月程度休暇がある。船内では船長の権限が絶大であり、乗員や乗客がトラブルを起こすとすぐに下船命令が出され、たとえツアー客であっても島から自力で帰国することになるとのこと。
 船での生活は7:30レストランで朝食。9:30からジムで1時間ほど汗を流し、その後プールで泳いだり、ジャグジーに浸かって海を眺めたりして過ごし、午後、島に上陸して観光後、夕方船に戻る日程が多い。日本人も150人ほど乗船しているが、9割は退職後の夫婦で、みな朝が早い。早朝に日の出を眺めながら最上階にあるランニングデッキを歩くのは爽快なのだが、そこで会うのは日本人が多い。欧米人はバカンスの人が多く、年齢もバラバラで夜は10:00頃から翌朝3:00頃までダンスパーティなどで騒いでいるため、午前中はプールやジムは空いていて利用しやすい。

img-10-003.jpg  4日目は午後2時頃サントリーニ島に上陸した。大きな火山島が陥没して外輪山の一部が島になっていて300mほどの崖の下に港がある。崖上の市街地へはロープウエーかロバに揺られて登るしか方法はない。大型船は接岸できないため乗客は100人乗り程度の小型船でピストン輸送される。崖条例など無いのか今にも崩れそうな斜面まで住宅が貼りついている。建物はすべて白い漆喰で塗られ、窓枠や手摺は好みの色で統一されている。美しい白を保つためには漆喰を年に3~4回は塗りなおす必要があり、DIYでやっている人も多いようである。
 5日目はミコノス島に上陸。古い街のミコノスタウンは外敵の侵入を困難にするため道路は約2m程度と狭く、迷路のように作られている。

img-10-004.jpg  その狭い通路の両側に並ぶ真っ白な建物の1階には土産物店が並んでおり、観光客でひしめく通路を3輪バイクが荷物を運んでいく。人口は9000人程度だが、水源は無く、海水を淡水化して供給している。昼食は美しい海岸に並んだレストランでムール貝のワイン蒸しとシーフードのリゾット、地元の白ワインをいただき堪能した。(ムール貝12ユーロ、リゾット22ユーロは消費税24%を含む。1ユーロ=125円)

img-10-005.jpg  6日目はケファロニ島に上陸。1953年の大地震で島の8割の住宅が全壊し、当時6万人ほどいた住民はほとんどが島を後にしたがその後徐々に戻り、現在は4万人が住む観光地として復活している。その時の地震で鍾乳洞の天井が落ち、地底湖にそそぐ光で美しいブルーの水が生まれ、人気の観光スポットになっている。
 エーゲ海クルーズではいくつか島が現れてくるが、瀬戸内海ほど多くはない。7日目のドブロクニクに向けてアドリア海に入ると水平線まで船さえ見えないような光景が続き、バルコニーから眺めているとゆっくりと時間が流れているように感じた。
 クロアチアのドブロクニクは古い城壁に囲まれた世界遺産の街だが、ユーゴスラビアからの独立を巡る紛争による空爆で大きな被害を受けた。そこで観光バスが1回駐車するごとに3万円ほど徴収するなどで資金を集め、現在はほとんど元の状態に修復されている。今後も世界遺産の修復や保全に充てられているとのこと。

img-10-006.jpg  クルーズ最終日はベネチアに戻り、本島のホテルに宿泊してゆっくり観光となった。ベネチアはゴンドラで有名だが、その漕ぎ手は世襲制で、当初は貴族の使用人であったが、現在は1日に1000ユーロ以上稼ぐ高給取りになっている。サンマルコ広場にある一番古いビザンチン様式のサンマルコ寺院の内部は、すべての天井が金箔を施したモザイクタイルで仕上げられており、使われている金の総重量は4トンにも達するとのこと。当時のベネチアの絶大な財力と西洋の教会は100年以上をかけて建設するのが普通であるからこんな建物が存在するのだろう。

img-10-007.jpg  ベネチア本島は自動車や自転車の通行が禁止されていて、早朝に散策すると、物資を満載したボートが運河を行きかい、荷揚げされた商品どを手押し車に載せて店に運んでいた。本島の人口は、30年前は6万人ほどいたが、観光地化が進み、物価が上がりすぎたことで4万人まで減少しているとのこと。この島全体がかつては潟であり、天文学的な数の松杭が打ち込まれ地盤となっているとはとても想像できない。
 今回の旅で知り合った日本人のなかにはクルーズが3~4回目の人もかなりいて、乗船した最大クラスの船は24万トン、乗客6000人以上で設備も数段上とのこと。新型コロナウイルスの終息には時間がかかると思うが、またいつかそんな船でカリブの海へでも行きたいものである。

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この記事について

このページは、sekkei-kagawaが2020年6月24日 16:18に書いた記事です。

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