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2008パソコン格闘記

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高 岸 雄 三
高岸工務店





突 然

 突然 パソコンの画面が固まって、動かなくなってしまった。
 よくあることで 別段、特に驚くこともないが、過去に何度も痛い目にあったおかげで、本当に大事なものはあらかじめ別のところに待避させてあるし、復旧作業がしやすいような一応の手だてもあらかじめ準備してある。
 あわてることもない。
 前回、動かなくなったときは、そうした手だてを使って、自分であれこれやっているうちにすぐに復旧できた。 
 おもむろに今回も前回と同じ手段を試してみるが全く反応がない。
 どうやら事態は深刻なようだ。

パソコンとの長いつきあい

 パソコンとの長いつきあいを振り返れば、パソコン黎明期のゲーム機時代からもうかれこれとかなりの年数だけは経ているのだが、概ね、年に一、二回はすぐには直らない深刻なトラブルに見舞われている。経験年数とは関係なくその都度苦労をさせられるのは、いまだにパソコン初心者の域を脱しない証しなのだろう。
ダメージは、以前より、格段に大きく深刻になった。
 確かに 昔のパソコンに比べ、今のパソコンは、格段に処理能力が上がってきていて、信頼度安定度も高くなってトラブルも少なくなった。だが、その分、一度に大量データをやりとりするようになってきているので、トラブルで動かなくなってしまったりした時に、パソコン使用者が蒙るダメージは、以前より、格段に大きく深刻になったといえる。

パソコンメーカー

 もっともパソコンメーカーの立場にたつと、昨今のパソコンは日本メーカーの日本製となっていても、使用ソフトの元になっているものは当然のこと海外製だし、箱の中の部品も実は外国製などが多数あって、日本のメーカーの守備範囲では何ともできないことも多い。
 だからこうして時折トラブルに見舞われるのは単に当たり外れの運が悪いためだななどと諦めることも大事なことなのだろうとか思ってしまう。
取扱い注意のパソコン そもそもパソコンは基本的に壊れやすいデリケートな物であり、その取扱いには特に注意を要するものだ。これをなんの故障なく使おうというのなら、本来は、ごく限定的な範囲内できわめて定常的な業務にだけしか使えないものかもしれない。
 パソコンなら何でもできるというパソコン万能の幻想など決して抱いてはいけない。

建築で喩えるなら

 パソコンを故障なく正しく使うというのを建築におきかえて喩えるならさしずめきちんとしたレールの上にある引き戸をもの静かにそっと開け閉めするだけのようなものだ。
 事実一般に普通に使用されて正常に稼動する、多くのパソコンでは 腫れ物に触るように 引き戸をそっと開け閉めするように おとなしく扱われていると想像する。
 しかしメーカーのカタログを見れば あれもできる、これもできると満艦飾のように、多くの可能性が書かれている。これらをそのまま鵜呑みにして踊らされていくと、出口のないトンネルの中にどんどん入ってしまうことになってしまう。そのうち迷い込んでトンネル内でウロウロしている間に、パソコンは何でもできると思いこんでしまい、パソコン万能の幻想にとりつかれてしまう。パソコンがもつ魔力の恐ろしさは、知らぬ間にパソコンが万能だと思い込ませることなのだ。
 そして一度その魔力に惹かれるいなや、すぐに戸を乱暴に手荒く扱いだして、戸を貼りかえ、レール、戸車を外し、戸に窓を開け取っ手を変え、引き勝手を変えてみたりするようになり、やがては戸をふすまに変えたり引き戸を、開き戸に変更し開き勝手を、右に左に自由に変更したりしたくなる。これらはパソコン魔力に惹き込まれた結果、パソコンなら何でもできるというパソコン万能の幻想にとりつかれてしまったためだろう。

時間が過ぎる

 パソコンを復旧しようとして、つまらぬことをあれこれ考えながら、いじっているうちにたちまち時間が過ぎていく。そのうちマニュアルや、本を出したり調べ物をしたりして分かったような気分になってから、更に、またいじってみる。
 以前のパソコントラブルではこうやって危機から脱出できたという過去の成功体験はまず通用しないほど今日のパソコンはハード、ソフトともに進化は著しい。10年一昔は世間一般のことで、今やパソコンの世界では 2-3年どころか、半年一昔だ。やはり前回のトラブルとは全く違うようだ。

問い合わせ

 駄目で元々と思いながらもいろいろと電話やメールで問い合わせをしてみる。メーカーのサポートセンターの電話など、いつも話中ばかりで、何の役にも立たないものだと思いつつも、今日は不思議なことに何度目かにたまたま通じた。しかしただ通り一遍のマニュアル通りの返答を聞いて苛立つだけの時間が過ぎてしまったことにすぐ後悔する。メーカーにとってはあまりに大量に押し寄せる問い合わせやクレームをいかにすばやく処理し消費者の不満のガス抜きをし、製造物製造責任などの訴訟リスクをうまく回避しながら早めに、消費者が買い換えの気持ちになるよう誘導するのかが大切なことなのだろう。いやそういうメーカー自身もパソコンのあまりに速い激流に、翻弄されていて、溺れ
かけながら、ただもがいているだけなのだろう。
 こうしているうちにも時間はどんどん経過するが何も進展がない。
 とうとう八方ふさがりのようで煮詰まってしまった。 
 しかたなく頭を冷やそうと、コーヒーでも飲んでしばし休憩。

休憩後

 休憩後またパソコンと向かい合って別の手法で、復旧に取りかかるがやはりうまくいかない。
 大事なデータが、どうなるのだろうと、気持ちは焦るばかりだが、もうどうしようもない。
 今度はちょっと気持ちを転換しようと、外出して、取り急ぎ、所用も済ませてくる。
 心機一転。また別の手法で再度パソコンと格闘する。ヤッパリだめ。
 さらに一寸一息入れて気持ちを転換しまた気を取り直してはまた別の手法で再度チャレンジ
するも駄目。
 これらを繰り返すうちに夜もすっかり更けてきた。
 結局いじればいじるほど底なし沼の深みに入り込んだなと、うすうす感じて、そろそろ自力復旧をあきらめざるをえないかなと思い始める頃、急に疲労感や倦怠感が襲いかかってくる。
 今日はこれまで。

延々と幾度も繰り返し格闘

 翌日また パソコンと向かいあい、気分転換からヤッパリ駄目の一連のパターンを繰り返し、さらに何日間にもわたって同じパターンを延々と繰り返しながらパソコンと格闘していく。
 こうしているうちに、ときにはある日突如として復旧できるときも過去にはあった。
 同じような作業をしていても何度目かチャレンジのすえにどういうわけか僥倖に恵まれ、たまたま復旧できるのであった。
 こうした時、「俺は何でもできる」といった自惚れが高じやすく自信過剰になってしまう場合が多いのは、まだ人間が単純で未熟なせいだろう。
 もっともこの段階の自力復旧は気をつけないといけない。
 とういのも自力で復旧できたと思ってもやはり完全には直ってなくて使っていくうちにすぐに前よりもっとひどいトラブルに巻きこまれるという、痛いしっぺ返しをうけて結局は泣くことになるのが多いのである。
(幸いなことに?)今回は いくらやってもヤッパリ駄目みたい。
 どうやら最終的にプロの助けが必要だ。

メーカーの保証期間

 このパソコンは新しく買い換えたばかりで、メーカーの保証期間内だ。無料で修理をしてくれるというのは有難い。だが無料期間が終わればすぐに買い換えてくれということかと勘ぐるのは今までメーカーの言うことを忠実に守ってすぐ買い換えを続けてきた模範的な優良消費者だったせいか?
 というのも、過去保証期間内で無料修理に出したパソコンは内部記憶装置(ハードディスク)の初期化にサインさされて結局データが飛んでしまって頭の中が空っぽで帰ってきた。ただ単に部品を付け替えるだけは本当の意味では修理でないと、抗弁するのは贅沢なことのようで、結局、保証期間無料というメーカーの高等戦術の前に、丸腰ではなすすべなくどうしようもなかった。保証期間無料システムでの修理ではまず無理も言えないのである。「ただより高いものはない」の教訓のとおりであった。
 考えてみると自動車のリコールの不良部品のようにたまにはパソコン部品に欠陥などあるのかもしれない。さらには避けられないのがソフトウェアの欠陥(バグ)でこれはなかなかなくならないと聞く。もともとパソコンのトラブルがいかに多くあり簡単には避けられないものであるのか、メーカー自身よくわかっているからこそこうした保証期間無料のシステムを導入するのだろう。こうしたパソコントラブルをいかにうまく処理し、いかに上手に、消費者に移り気を起こさせ、パソコンの買い換えをスムーズ
に促すか、これがメーカーにとってとても大事な販売戦略に違いないと邪推したりする。

買い換えサイクル

 そもそも 他の耐久消費材や家電製品に比べてみて、パソコンほど買い換えサイクルの短い、短命なものはない。寿命というよりすぐに使えなくするようなシステムがこんなにうまく見事に出来上がっているとしか考えられない。高価なパソコンなのに買い換えサイクルが極端に短いことについては、誰もが納得しがたいこと思っているはずなのに表だって異議を挟むことなく社会問題にすらならない。みんなそんなものかと割り切っているからかそれともただ単に諦めているのだろうか?
 他方車についていえば、今なら新車を買えば普通に乗っていても最低10年は持つ。
 リコールでもあればどんな些細なことでもマスメディアは一斉に報道して自動車メーカーを徹底的に叩いて非難してくれる。
 建築だってパソコン並に2-3年毎に建て替えてくれたなら、建築業界もどんなに活況を呈することになるのかと思うのだが、建築の建て替えサイクルはとても長く、30年40年は当然のこととされているし、100年位の建物もいくらでもある。
 そもそも建築では永く人々に愛され、使われながら、幾歳月を重ねてきた建物こそ素晴らしく価値があるものとされていて、僅か10年20年で消えてしまうような建物は泡沫のようなものとされている。

自動車

 長寿命の建築に比べ買い換えのサイクルも比較的短い自動車産業をみてみると、今日では優秀な日本車が世界各地で活躍している。その日本車の歴史を辿ってみれば、その昔高速道路もなかった昭和30年代(注)、道も悪かったが、車も少なかった。いまでは何の変哲もないスイスイ普通に走れる峠道でも、その当時の日本車ではあえぎながらやっと登れるほどの大変な難所であったようで、当時のちょっとした峠道ではオーバーヒートしてボンネットを上げている車をよく見かけたものだった。峠でなくても真夏にはオーバーヒートで故障した車もチョイチョイみかけた。その当時の日本車の信頼度
は低く品質も悪かった。
その後の日本の自動車メーカーは必死になって品質や性能の向上に努力したのだろう。いまではどんな険しい峠道にももうそんなオーバーヒートしてエンストした車の光景など見ることもない。
 工業製品の完成品として、成熟度の高い自動車に比べて、パソコンは未だ成熟してない未完成の発展途上のものだと善意に解釈すれば、パソコンのトラブルにかかわる物事のかなりの部分がすんなり理解でき、腹も立たなくなってきた。
(注 昭和38年 名神高速道路 栗東尼崎間開通。高速走行に耐えられないで故障する車も多かった。)

 プロのパソコン修理

 今回の修理はともかくデータが大事なのでメーカーの無料保証作戦の甘い誘惑を断ち切り、プロのパソコン修理屋にデータ復旧をふくめて「本当の修理」を依頼することにする。
 修理に出して一週間後、パソコンはデータソフトウェア設定などすべてきれいに元通りになって戻ってきた。ただし修理費は高くついた。
 もっともプロの技の凄さをまざまざと見せつけてくれ、本来プロはこうあるべきだという手本を指し示してくれたうえに、自己の自惚れ、自信過剰をもいとも簡単に打ち砕いてくれ、謙虚さの重要性を教えてくれたという意味では今度の修理費も誠に安いリーズナブルなものであった。

貴重な体験に感謝

 今度のパソコントラブルもまた 貴重な体験であった。
 世の中の移り変りは速いぞ、うかうかするととり残されるぞ、まだまだ未熟だぞ、もっと謙虚になれという貴重なメッセージを与えてくれたことに深く感謝している。

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この記事について

このページは、sekkei-kagawaが2008年5月16日 12:54に書いた記事です。

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