Topごあいさつ2008年5月

2008年5月アーカイブ

社団法人 香川県建築士事務所協会  賛助会会長あいさつ

2009年挨拶

 

薩摩路の散策 

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香川県建築士事務所協会
賛助会 会 長 福 本 富 雄

 
 
平素は(社)香川県建築士事務所協会賛助会の活動に御協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 今は世界中が同時不況で日本の基幹産業とも言うべき、電気、白動車、鉄鋼等全ての産業に不況の波が押し寄せています。特に建設業界は構造偽装の問題に端を発してから、国内の不況とも合わせ建築工事の中止、延期等の問題と明るい材料は何一つありません。耐えて頑張るしか方法がないように思われます。
 私は鹿児島重富島津家伝来の太刀を一ロ持っていまして、一度「重富島津」を訪ねてみようと思い、昨年10月に篤姫最盛期の鹿児島に行きました。その太刀は戌辰戦争時に京都の三井家に千両の借財の形に預け入れた太刀です。指定名義は「三井家」になっております。我々の言葉で言うなら質流れとでもいうものでしょうか。
 鹿児島へ行く前に少し調べてみました。島津総家には四家あり、筆頭に重富島津家、加治木島津家、垂水島津家、篤姫の里の今泉島津家、とあり藩主に跡継ぎが無い時は四家の内から出す、徳川御三家と同じ役割を持っていました。島津氏は鎌倉の源頼朝から薩摩、犬隅、日向の三国の守護職に任ぜられ、明治の廃藩まで長く続いた事で他藩に比べ武家が際だって多く43、000戸余りと113の外城がありました。武士でありながら百姓から行商人までいました。仕事の間に武道の訓練を麓(府元)で行っていました。鹿児鳥空港でレンタカーを借りて、霧島温泉で宿泊、翌朝霧島神社に参拝し、いよいよ念願の城趾巡り。重富は町名かと思っていたのでなかなか見つからず、始良町平桧、重富龍にやっと着けば、「御仮屋」跡地は小学校になっていました。 学校の前面は広い道路で馬場と思われます。武家屋敷は1m余りの高さの石垣を廻らし整然と区画がなされ、武家屋敷の一群の中を歩き雰囲気を充分に満喫しました。 学校の脇の案内板によると、右奥にある小さな険しい山頂が岩剣城、島津義弘の初陣で日本で初めて鉄砲を使って戦い、祁答院(けどういん)氏の城を破って以後島津義弘がさらに名をなしたと言われています。左に桜島を見ながら一路市内方向に向かう途中で、島津家別邸仙厳園を見学しました。磯御殿の庭から錦江湾に浮かぶ雄犬な桜島が見事で暫く見入っていました。夜は天文館で薩摩料理、最後に薩摩ラーメン、美味かったな‥・
 最後は出水に行きました。肥後熊本の国境にある出水は島津藩の最強で最大の麓でかなり大きな区画でした。ここも「御仮屋」趾は学校になっています。犬きな屋敷趾は千坪、次が五百坪、順次小さくなっています。出水麓は古い町並みがかなり残っていました。篤姫が御輿入れの撮影場面の門構えの家も拝見しました。鹿児島市内の県博では篤姫展を見学して帰路に付きました。
 最後になりましたが(社)香川県建築士事務所協会の益々の御発展と、会員各社の御繁栄を御祈念申し上げ御挨拶と致します。
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2008年挨拶
 
奥出雲の炎


 平素は社団法人 香川県建築士事務所協会賛助会の活動に御協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 昨年6月の建築基準法改正以降工事の出件が無く、やっとここに来て少しずつ新しい物件が出
た様に思われます。
 賛助会の活動も2年目に入り、会員も新しく40社程入会を頂き、少しずつ活動の輪が広がってきております。会員間の交流を含め事業計画を基に賛助会の基盤作りを会員全員で進めて行きたいと思っております。
 話は変わりますが、NHK教育放送で放映されていますが、今年の2月初めの週末に奧出雲町の「日刀保たたら」の見学に行きました。
「たたら」は日本で只一ヶ所の大臣認定の玉鋼製造所で製造責任者(村下 むらげ)は国の選定保存技術者です。 炉は船型で巾三尺、高さ四尺、長さ十尺程です。炉に火を入れて三日三晩約70時間休み無く続けます。1回の操業を一代(ひとよ)と言い、冬の時期に今年は3回(三代)操業しました。砂鉄約13トン、木炭約13トンを使い、出来上がる鋼が約3トンだそうです。出来た良い部分を玉鋼といい主に日本刀の材料となります。
 炉は鞴(ふいご)から送られた風でブォー ブォーと唸り音を立てながら炎が1.5m程の高さまで上がります。30分間隔で砂鉄、木炭を炉に村下が一面ムラ無く入れていきます。真っ暗な工場の中で炉の火との壮絶な闘いが幻想の世界に導いてくれます。 見学が終わり夜も暗くなって山奥の民宿に向かいました。道路は除雪を行っておりますが脇には1m程雪が積もっています。
 宿には温泉が湧き20名程の宿泊客でした。夕食を済ませて翌朝4時に起床、凍った道を慎重に運転しながら工場に向かいます。
 炉の炎は昨夜とは違い小さく鞴で吹く風音だけがビュービューとうなっています。やがて火を止めて6時から炉を壊してケラ(鋼の固まり)を出します。出来上がった真っ赤なケラを目前に観衆一同から大きな拍手が沸き上がりました。
 やがて村下が「福本さん 今回が一番良いケラが出来ましたわ」三日三晩不眠不休、顔は目がくぼみ、頬はこけ、埃と汗で顔は真っ黒、しかし村下の顔には大業を成し遂げた満足感が満ちあふれ、眼はにっこり笑っていました。 厚くお礼を述べ、宿に帰り朝風呂で埃を落とし朝食、「さあ、帰ろう」と外に出ると山は真っ白、我が地では見ない銀世界「すごいなー、こんな雪の中に居たんだ」
 帰りは足立美術館で横山大観の絵を鑑賞し、二日間の旅を堪能して帰路に付きました。
 私は来年も行く予定ですが、機会があれば会員の方も見学を是非如何でしょうか。

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社団法人 香川県建築士事務所協会  会長あいさつ

互いに協力し合い社会対応を前向きに

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社団法人 香川県建築士事務所協会
会   長   富岡 学

 

 


 

 正会員、賛助会員、関孫各位の皆様方には、協会の活動になにかとご協力を戴いておりますことを、深く感謝申しあげます。

 一昨年の改正建築基準法に伴う混乱が続いている昨年末には、改正建築士法が施行されました。さらに今年の5月27日からは構造設計一級建築士、設備設計一級建築士による関与の義務づけが施行されます。

 目的は、耐震偽装事件により失われた「建築物の安全性及び建築士制度に対する国民の信頼を回復」することです。

 そのために、過去にはなかった構造設計一級建築士、設備設計一級建築士の講習考査、設計・工事監理業務の適正化と消費者への情報開示のための管理建築士の講習考査、建築士の資質能力の向上のための建築士事務所に所属する建築士に対する3年ごとの定期講習考査、などが義務づけられました。

 しかし構造・設備設計一級建築士の講習考査の終丁者人数の少ない(特に現在建築設備士)ことから、構造・設備設計技術者を必要とする建築士(建築士事務所)、工務店等に技術者を紹介するサポートセンターが、中央と地方(各建築士事務所協会)に設置されました。

 地方サポートセンターは中央サポートセンターヘの各種相談の取次ぎなどを行ないます。しかし具体的なサポートに関しては未知数です。

 また、今年の1月5日から建築士事務所協会は建築士法に基づく法定団体になりました。法定団体になることにより、会員名簿を一般の閲覧に供する業務、苦情の解決業務を行うことになり、建築士制度普及協会が出した新聞広告を見て、相談に来られた方もいます。

 今年度にも建築関係に係る基準ができます。工事監理ガイドライン、住宅瑕疵担保履行法責任保険の引受けの条件となる設計施工基準、昇降機に係る改正建築基準法施行令の施行、等です。

 なお、これらのほか諸方面で入手しました情報がある場合には速やかに会員の皆様方にお伝えしたいと思っております。

 建築士事務所に所属する建築士に対する3年毎の定期講習は(社)香川県建築士会と(社)香川県建築士事務所協会の共催で実施されていますが、その他の講習会も協力して行っております。今後も協力しあって香川県の建築関係に役立つ団体を目指します。
 個人は(社)香川県建築土会へ、建築士事務所は(社)香川県建築士事務所協会への参加を促進して行かねばと思っております。
 ご支援よろしくお願い申しあげます。

 


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香川県建築設計協同組合 代表理事あいさつ

興味をいだくユダヤ人の生活規範(パート3)

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香川県建築設計協同組合
代表理事 斉 藤   孝







 私の愛読書の中の愛読書といえるものに、「タルムード」なるものがある。このタルムードというものは何ぞ?といわれるだろう、簡単に一口でいえばユダヤ民族を5000年に渡って支えたてきた生活の規範を述べている書である。
 一昨年、昨年度の本誌にも記しているのでその続々編ということになる。

ユダヤ

 東京に住んでいるユダヤ人の女性が、上野のデパートに買い物に行った。帰ってきて品物を広げると、箱の中から自分の買わなかったものが出てきた。それは指輪で、非常に高価なものだった。彼女は洋服とオーバーを買ってきただけだった。
 彼女はあまり豊ではなかったけれども、子供と二人で住んでいたので、自分の幼い息子にそのことを話した。
 するとラビは「ユダヤの伝説では、買ったものしかわれわれはとってはいけない。だからこれはあなたにかえす」と答えた。アラブ人の商人は「あなた方の神はすばらしい神に違いない」と言った。
 この話を聞いていた彼女は、それではさっそく返しに行くけれども、なんと言って返そうかと私に相談した。
  私は「その指輪はデパートのものかデパートの売り子のものかわからないけれども、もしなぜ返したのかと質問されたら、私はユダヤ人だからとだけ答えなさ い。同時に返すときには必ず息子を連れていきなさい。息子は自分の母親が正直ものだということを、「一生忘れないだろう」と言った。

罰金のルール

 あるユダヤ人の会社でユダヤ人の社員を雇っていた。ところが彼は会社の金を持ち逃げした。ユダヤ人の社長は怒って警察に届けようとした。そこで会社の幹部が私のところに来て、「どうしたらいいだろう」と相談した。
 「本当にお金を持ち逃げしたのかどうか確かめたほうがいい。もし彼が本当に持ち逃げしたとしても、警察に行って彼が起訴されれば、きっと刑務所に入らなければならない。ただ、これはユダヤのやり方ではない」と言った。
 なぜなら、彼が牢屋に入ってしまったら、あなたはお金を取り戻すことができない。ユダヤの法律では、誰かがお金を盗んだとしたら、その人は牢屋に行かずに、お金を返さなければいけない。
 そこで、彼を見つけて牢屋に入れるよりは、まずお金を戻させて、それに加えて罰金を払わせるべきだ、と言った。
 古代イスラエルでは、罰金や、お金を払わなかったり、金利を払わなかったりすると、役務で払わなければならなかった。
 最悪の場合は牢屋に入れられるが、根本的には牢屋に入ることによって問題は解決されないというのが、ユダヤ人の考え方である。

夫婦のトラブル

 一組の夫婦がトラブルを持ってやってきた。
  夫婦の問題を聞くときには、二人を同席させたままで聞くと、お互いにけんかばかりしているので、二人を分けて別々に聞かなければならない。一人ひとり分け て聞くと、互いに配偶者を大切にして、相手のことを思っていることがよくわかる。忍耐強く話を聞いて、同情心を持って当たれば、たいていの夫婦間の問題は 解決する。
 まず夫婦の話を聞き、彼の言ったことはすべて賛成し、うなずき続け、彼の言い分をすべて認めた。それから妻がやってきた。私は彼女の言い分を聞き、彼女の言うことも全部うなずいて、忍耐強く話を聞き、あなたの言い分はまったく正しいと賛成した。
  「私は全然納得いかない。あなたは夫の話を聞いたときは全部夫にうなづいて、あなたが正しいと言い、今度は妻が入ってきたら、妻の話に一々うなづいて、あ なたの言い分は全部正しいと認めた。二人とも全然違う言い分を述べているのに、どうして二人の言い分が正しいと言えるのか」といった。
 いろいろな人たちがいろいろ違う関係を持ってきた場合、あなたが正しいとか、あなたが間違っているとか、決めつけて裁いてはならない。それはいたずらにマサツを多くするだけである。この際重要なことは、両者の熱戦状態を冷やすことにあるはずだ。
 両者の言い分を認めることによって相手は冷静になり、序々に和解していくことがある。だから、この種のトラブルには、まずどんな意見でも相手の言い分を認めることが必要なのである。

衛生観念

 ユダヤ人は非常に保健衛生の観念をきびしく植え付つけられている。以下はそのいくつかの教えである。

1、 コップで水を飲むときは、使う前にゆすぎ、使ったあとでまたゆすげ
2、自分が使ったコップを洗わずに他人に渡してはいけない
3、目薬をさすよりも、朝晩目を水で洗ったほうがいい
4、 医者のいないところには住むな
5、トイレに行きたいときには一刻たりともがまんするな

ある農園

  慈善行為によってお金をどこかに献ずると、人々は一般的に自分のお金を失ったと思いがちだが、実際は違う。実際は人にお金を与えれば、それだけ入ってくる ことになる。あなた方が慈善にお金を使えば使うほど、お金はあなたのほうに戻ってくるのだという話をするとき、私は次のようなタルムードの話を引用する。
 あるところに大きな農家があった。そこの主人は、エルサレム近辺でもっとも慈善深い農夫と言われていた。毎年のようにラビたちが彼の家を訪れ、彼はラビに惜し気なく慈善を施した。
  彼は大きな農園を経営していたが、ある年、嵐のために果樹園が全滅し、疫病がはやったために、彼の飼っていた羊や牛、馬も全部死んだ。これを見た債権者た ちは彼のところに殺到し、財産を全部押さえてしまって、彼には小さな土地しか残らなかった。しかし彼は「神が与え、神がまた奪いたもうたのだから、しかた がない」と言って、平然としていた。
 その年もいつものようにラビがやってきた。
ラビたちはあれほど持っていたのに、こんなに没落してし まって、と言って同情した。農園主の妻は夫に「私たちはいつもラビたちに学校をつくったり、礼拝所を維持したり、貧しい者や年老いた者たちのために、あれ だけ献金していたのに、今年は何もあげられなかったら非常にお気の毒です」と言った。
 夫婦はラビたちを手ぶらで返すにはしのびないと思った。
 そこで、最後に残っていた小さな土地を半分売って、それでラビたちに献金をし、そのかわり残った半分の土地でもっと働いて埋め合わせをしようと思った。ラビたちは思いがけない献金をもらって非常に驚いた。
 半分残っていた土地を耕していると、農耕に使っていた牛が倒れてしまった。しかし泥にまみれた牛を掘り出していると、牛の足の下から宝物が出てきた。その宝物を売ることによって、彼らはまた、むかしどおりの農園を経営することができた。
  次のとし、またラビたちが帰ってきた。ラビはまだあの農夫が貧しい生活を続けていると思って、小さな昔の土地に行った。ところが、近所の人たちが、「い や、彼はもうここには住んでいない。向こう側のもっと大きな家に住んでいる」と言った。ラビがそこに訪ねていくと、農園主はこの一年間に自分たちに起こっ たできごとを説明し、「惜しみなく慈善を与えれば、必ずそれは戻ってくる」と言った。

生きた海

 ユダヤ人は世界中の民族の中で、もっとも慈善を重要視する民族であろう。にもかかわらず、今日ではあるユダヤ人に関しては、慈善行為を行なえとすすめるか、また他人にすすめられなければ、慈善を施さないような人も出てきた。そのとき私は次のように話した。
 イスラエルにはヨルダン川の近くに二つの大きな湖がある。一つは死海、一つはヘブライ語で「生きた海」と呼ばれる湖である。「死海」にはよそから水は入ってくるけれども、どこにも出ていかない。いっぽう、「生きた海」のほうは水が入ってくる代わりに、水が出ていく。
 慈善をするものは生きた海で、水が入ってまた出ていく。われわれは生きた海にならなければならない。

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